vision
美味しい牛乳をつくるには、まず何から始めればいいのでしょう?
それは土づくりです。
「なぜ土づくりなの?」と思われるでしょう。
牛のエサは、どれも購入することができます。
でも、久保アグリファームでは、牛の食べ物からこだわりたいのです。
そのために、まず安心・安全な土づくりからスタートします。
毎日大量に出る牛ふんは、牧場内の堆肥舎で堆肥にして広い牧草地に返します。
そのおかげで、栄養価の高い牧草が育つのです。
「土は生命の胎盤である」という言葉があるように、土は地球上のほとんどすべての生命を育んでいます。
土自身が生物を生み出すわけではありませんが、生物界の培地としての役割を担っているのです。
そこに生息する生き物が暮らしいやすい環境を作り、農業のもとである土と、土の健康のことを忘れてはいけません。
品質や栄養価の高い食品を生産するには、作物自身が健康でなくては!
人間に例えるなら、牛にとって牧草が「主食」。
穀物が入った飼料が「おかず」。
この配合も、研究を重ねて牛の健康・美味しいお乳のためベストな割合に計算しています。
主食の牧草は、できる限り自家牧草でまかない、輸入牧草はなるべく避けています。
久保アグリファームの牧草の自給率は約90%です。
牧草は、「青草」「乾草」「サイレージ」などの種類があります。
「青草」は生の牧草、「乾草」は干した牧草、「サイレージ」は乳酸発酵させた牧草です。
久保アグリファームでは、一番牛のからだにいい、「サイレージ」の牧草を使っています。
昔はサイロ塔で作っていましたが、今はぴったりラップでくるむロールサイレージで作っています。
天日で乾燥させた牧草を、幅2.5m程のロール状に圧縮してまとめ、ラップで包んで発酵させます。
自然の乳酸菌を豊富に含み、牛の健康にいいだけでなく、長期保存できるようになります。
牧場で白い巨大なラップに包まれた「サイレージ」をご覧になった方もおられるでしょう。
牧草の収穫は1年に1度ですので、その「サイレージ」を1年かけて牛たちが食べます。
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「砂谷牛乳*牛乳屋さんなのに土づくり??」
久保アグリファームに欠かせない存在である乳牛。
みんなこの牧場で生まれた牛たちです。
愛情込めて接し、できるだけストレスがかからないようにしています。
1頭ずつ体調を管理し、エサの量もそれぞれ違います。
久保アグリファームの牛たちは、だいたい性格が穏やかで、ひとなつこい傾向がありますが、面白いことに牛もそれぞれ個性があって、好奇心旺盛な牛、ちょっとこわがりの牛など色々です。
牧場に遊びに来れば、牛たちに会うことができます。
近くで見ると、びっくりするほど大きく感じると思いますが、体のわりに気が小さいのでこわがらせないように優しく接してあげてくださいね!
日本では多くの場合、120~135℃の高温で1~3秒間熱して殺菌する方法が採用されています。(超高温殺菌)
これには
というメリットがあります。
でも私たちはあえて低温殺菌(65℃で30分かけて殺菌する方法)、高温保持殺菌(85℃で20分間かけて殺菌する方法)にこだわっています。
低い温度で殺菌した方が、たんぱく質の変化が少なく、自然に近い牛乳本来の味を楽しめるからです。
低温殺菌牛乳は、どんな生乳からでも作れるわけではありません。
原料には、もともと菌数が少なく新鮮で良質な生乳が必要です。
そのために、久保アグリファームでは、生乳の衛生・品質管理につとめるだけではなく、鮮度をとても大事にしています。
牧場と同じ敷地内に自社工場(砂谷牛乳)があるからこそ、それを可能にしているのです。
「安心・安全・おいしい」は当然のこと。
牛に優しく、人に優しく、自然に近い牛乳をお届けしたい!
生産者の想いを牛乳に込めて初めて、美味しさを共感してもらえるものと信じています。
多くの方が、超高温殺菌の牛乳を、「これが牛乳の味」と認識しておられるのが、ちょっぴり残念です。
おおげさに言うと、牧場で牛の乳をしぼって、コップに入れて、そのまま飲んだ味に近いのが低温殺菌牛乳です。 (※法規制のためそれはできませんが)
更に、牧場ごとに、お乳の味は違います。
合乳(何軒もの牧場のお乳を混ぜて牛乳の原料とすること)だと、平均的な味になり、わからなくなります。
よく「食べるものがからだをつくっている」といいますが、牛も同じで、牛が何を食べて、どんな環境で暮らしているかで、お乳の味が変わるんです。
ぜひ久保アグリファームの低温殺菌牛乳を味わってみてください!
「久保正彦の低温殺菌牛乳」は低温殺菌(65℃で30分かけて殺菌する方法)、
「砂谷牛乳」は高温保持殺菌(85℃で20分間かけて殺菌する方法)でつくっています。
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「砂谷牛乳*パスチャライズド牛乳って何?」
久保アグリファームの創業者は、私(まーさん)の父である、久保政夫です。
父について、少しお話します。
久保政夫は文学への憧れから中学を中退し上京したものの、都会の生活が体に合わず、体をこわしてしまったそうです。
ちょうど机上の文学への不満が高まっていた時期でもあり、生産の場から生まれる新しい文学を求めて酪農の島、八丈島に渡ったのが、昭和5年、久保政夫が27歳の時です。
それが転機となりました。
八丈島で農業に目覚め、酪農に取り組み、生涯の伴侶となる久子と出会いました。
八丈島は自然環境が厳しく、野菜が育ちづらい土地でしたが、強風から野菜を守る防風林、石を積み上げた防風垣など独自の工夫をするうち、次第に島民から農業の師とあおがれる存在になっていったそうです。
故郷の砂谷に戻ったきっかけは、最愛の妹の死でした。
十数年ぶりに目の当たりにした故郷は、農業が衰退し、貧困にあえいでいました。
その現状にショックを受けた久保政夫は故郷を建て直すため、久子とともに乳牛23頭をつれて帰郷しました。
それが昭和16年5月15日のことです。
酪農による新しい農村づくりを目指して、雑木と熊笹におおわれた高原を一から開墾したといいます。
これが、久保アグリファームの歴史の始まりです。
これは父、久保政夫の言葉です。
自前の良い土で良い草を育て、良い草で良い乳牛を育てること。
そして、共に酪農の素晴らしい未来を築いていく良い人材を育てていくこと。
それが久保政夫の理想だったのです。
父は自分の久保農場だけではなく、砂谷の農家にも酪農を通して共に豊かになってもらいたいとの想いから、「酪農とは草を乳にかえる農業である」と熱心に説いてまわったそうです。
そのうち、ひとり、ふたりと賛同して乳牛を飼い始める農家がでてきました。
砂谷が酪農の地と変わって行ったのです。
昭和3 8年には砂谷株式会社(砂谷牛乳)の前身である「砂谷酪農有限会社」を設立しました。
「安心して飲めるおいしい牛乳を消費者に提供する」
「自分達で生産した牛乳は自分達で販売する」
という理念を実現したのです。
父は平成2年に亡くなりましたが、今もその精神は久保アグリファームだけではなく、「砂谷酪農部会」にも受けつがれ、土づくりから始まり、自ら牧草を育てる酪農に取り組んでいます。
この「創業ヒストリー」を編集するにあたり、酪農事情社から復刻版として発行された「酪農と人間」、副題・久保政夫さんの生い立ちと砂谷酪農(神田三亀男著)を参考にさせていただきました。心より関係各社及び各位に深く感謝申し上げます。